ポルタ・サン・パオローパオロ門
アウレリアヌスの壁に開く門のうちのひとつ。この門からオスティアの港に続く道、オスティエンセ街道がはじまります。門にパウロの名前がついているのは、このオスティエンセ街道をメトロの駅2つ分いくと、パオロを…
アウレリアヌスの壁に開く門のうちのひとつ。この門からオスティアの港に続く道、オスティエンセ街道がはじまります。門にパウロの名前がついているのは、このオスティエンセ街道をメトロの駅2つ分いくと、パオロを…
ヴァチカンの界隈やサンタンジェロ城の近くにレンガ造りのアーチが連なっています。ローマの街中でよく見かける水道橋、ではなくてこちらは回廊です。しかも避難通路です。そして誰もが使うことができるわけではなく…
ブラスキ宮殿はローマのルネッサンスの中心であるナヴォナ広場とヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りの間に建っています。1775年に教皇に選出されたピウス6世の甥であるルイージ・ブラスキ・オネスティの住まい…
ローマ国立博物館の4つのひとつで、テルミニ駅近くのディオクレティアヌスの浴場にあります。浴場は紀元3世紀の終わりか4世紀の初めころに造られたとされています。16世紀には教皇ピウス4世がミケランジェロに…
フォリ・インペリアーリ通りをはさんでフォロ・ロマーノの向かいにあるのはトラヤヌスの市場です。古代ローマ帝国時代の市場の様子を今日まで伝えています。夕暮れ時に入ると、ライトアップされた古代の市場内の道を…
ローマのルネッサンス地区にあるスパーダ宮殿の絵画館、ガッレリーア・スパーダですが、同じ建物は内務省にもなっています。 17世紀を中心としたスパーダ枢機卿の絵画のコレクションと、ぜひ見たいのはボッロミー…
バルベリーニ宮殿として知られる、国立の絵画館。ラッファエッロの「ラ・フォルナリーナ」、カラヴァッジョの作品があります。絵画館に入る前のピエトロ・ダ・コルトーナのフレスコに埋めつくされたサロンには圧倒さ…
歴史の上では古戦場として、恋する若者の間では、話題のピークが過ぎたにしても恋人の聖地として有名な橋、ミルヴィオ橋。ポポロ広場から北にのびるフラミニア街道をまっすぐ北上してテヴェレ川を渡るところがミルヴ…
なぜか見るたびに吹き出しそうになる噴水のひとつです。呆然としてしまった顔のせいでしょうか。目の焦点があっていなくて口がぽかんとあいていて、そこからは水がだらだら、と正当な芸術ファンからお叱りを受けそう…
アレッサンドロ・トルローニア王によって王子たちのたちのためにつくられた館で、現在、地階は蔵書庫、地上階は企画美術展のための美術館となっています。 小さいながらも洗練された館は古代ギリシャや古代ローマの…
トルローニア公園内にあるフクロウの館の名で呼ばれるこちらの建物は、テーマパークを思わせる独特の様式と雰囲気をもっています。1840年にアレッサンドロ・トルローニア王がジュゼッペ・ジャッペッリに命じて建…
貴族の館(カジーノ・ノービレ)はトルローニア公園の中にある建物のひとつで、ローマの最後の王家のひとつ、トルローニア家の屋敷であり、現在はローマ市営の美術館になっています。 ファシズム政権の独裁者ムッソ…
かつてメディチ家が住んでいたマダマ宮殿。建物自体は14世紀の終わりのものとなります。1541年から1550年までオーストリアのマルゲリータ女王が住んだことからこの名前がついています。 ジョヴァンニ・デ…
通称、四角いコロッセオと呼ばれるエウル地区にある旧労働会館の建物です。クリストーフォロ・コロンボ通りを軸にした対称の位置にはアダルベルト・リーベラの会議場があります。 都市計画の上で二つの建物は向かい…
いまだにイタリアで人気の高い建築家アダルベルト・リーベラのアヴェンティーノの郵便局は1920-30年代ムッソリーニ政権の下、計画された4つの郵便局のうちのひとつです。修復後、すっかりきれいになりお目見…
宇宙から降り立ったような体育館、パラッツォ・デッロ・スポルト。ピエルルイージ・ネルヴィ設計の体育館。近代建築史に登場する作品です。1960年のローマ・オリンピックにむけて建設された施設のひとつです。 …
1960年に開催されたローマオリンピックで競技会場となった複合スポーツ施設、フォロ・イタリコ。その起源はファシズム時代に遡ります。当時はムッソリーニのフォーラムと呼ばれていました。 現在でも施設の入り…