絵画と歩くローマ 「失われたローマ-Roma Sparita」
失われたローマ-Roma Sparita ローマを歩いていると、ふと、時間が止まったような街角に出会うことがあります。 決してきれいとはいい難いその街角が、遠い国から来た人間でも懐 かしいと感じさせる…
失われたローマ-Roma Sparita ローマを歩いていると、ふと、時間が止まったような街角に出会うことがあります。 決してきれいとはいい難いその街角が、遠い国から来た人間でも懐 かしいと感じさせる…
ローマの街にある古代ローマ時代の遺跡の数の多さを改めて思いました。見渡す限り広がる草原に崩れかけた遺跡。管理所の手間を考えてのことでしょうか、常に一般公開されているわけではなく、予約をして団体でなら中…
蚤の市で知られるポルタ・ポルテーゼがある通りに、ルイジ・モレッティの「トラステヴェレの青年の家」と呼ばれるユースホステルであった建物がある。現在はそのホールは展示のための空間となっていて、建築にちなんだ企画展などが催されている。
”ローマのために戦った戦死者に”と彫られたモニュメントがジャニコロの丘の上に建っている。イタリア統一運動で最後までイタリア統一に抵抗したローマのために命を落とした戦士たちの墓碑である。1849年、ナポレオン3世が送ったイタリア統一運動の戦いに加わった中には、ニーノ・コスタやゴッフレード・マメリら、若い芸術家も含まれた。ニーノ・コスタは絵画の印象派にも影響を与えた画家のひとりであり、マメリはイタリアの国家の作詞者としても名が通っており、イタリアの国家はマメリの歌と呼ばれる。
テルミニ駅の地下は店が並ぶちょっとしたショッピングエリアです。カフェもあればファストフードもあり、メガネ屋さんから化粧品、ファッション雑貨、24時間営業のスーパーマーケットと、大概のものはそろっていそ…
コルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世の道なりに緩やかなカーブを描いて建つこの建物はマニエリズム期の建築の代表作です。排気ガスですすけてしまっていますが、通りの反対側から見る、地上に並ぶ柱のリズムに…
優美なスペイン階段を上って、スペイン階段から見下ろせるローマを眺めて街を満喫したあと、階段の上のトリニタ・ディ・モンティ教会の前を通る道を行くと、少々風変わりな建物に出会います。 システィーナ通りとグ…
1920-30年代のムッソリーニ政権下における、新しい4つの郵便局の計画のうちのひとつで、ノメンターナ地区の郵便局として計画されました。建築家はマリオ・リドルフィで、イタリア合理主義建築の建築の中で、…
古代ローマ時代の円筒状の廟の上に家がのっているため、丸い家という意味のカザル・ロトンドと呼ばれています。この不思議な家はアッピア街道沿いのセスト・ミーリォSesto Miglioと呼ばれる、街道の起点…
ポルタ・カペーナ、カペーナ門はセルウィウスの壁に開けられた門のひとつですが、今日ではその全容がわかる遺構は残されていません。アッピア街道とラティーナ街道の起点となる門でした。途中で枝分かれしてアッピア…
ナヴォナ広場に程近い、カンポ・マルツィオ地区のアルテンプス宮殿のローマ国立博物館です。1568年にドイツ系家系出身のアルテンプス枢機卿がパラッツォを購入し、今日までアルテンプス宮と呼ばれています。 ア…
アッピア旧街道がはじまる、サン・セバスティアーノ門の内側に、スキピオ家の墓はあります。スキピオ家は共和制ローマ時代の政治、軍事における名門家。 ここに墓地がある事は1600年代の初めには知られていまし…
古代ローマの中心から数えて1マイルのところに据えられたマイルストーン。ポルタ・サン・セバスティアーノを出てアッピア旧街道を少し進むと出会います。1マイルといっても古代ローマ時代のマイルで、1000歩を…
アッピア街道のチェチーリア・メテッラの霊廟から500メートルほどのところにあるちょっとした遺跡、牛の頭を意味するCapo di Bove カーポ・ディ・ボーヴェ。浴場施設のあるこの遺跡は2世紀中頃のも…
スペイン広場からトレヴィの泉に向かっていると、柵に囲われた水道橋を思わせる遺跡らしき物に出会います。トラヴァーティンの3つのアーチが道路より地下に、建物にはさまれて並んでいます。この遺跡は11ある古代…
パンテオン界隈をコルソ通り方面に歩いて, ふと、車をよけて脇にそれると突然現れる巨大な足。ローマの街中にある語り継がれた遺跡のかけらたちの中でローマっ子にとても愛されているといわれるPie' di m…
連なるアーチがかかった坂をくぐりぬけると、ひっそりと「CASE ROMANE」と彫られた石版があります。間口も広くなく、気づかなければ見過ごしてしまいそうな入り口を入ると、古代ローマ時代の邸宅跡を見学…
ポルタ・サン・ジョヴァンニは3世紀に建造されたアウレリアヌスの壁にある門のひとつです。近くにサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂があることからこの名前がついています。 教皇グレゴリウス8世の命によ…
この上にボルジア家出身の教皇アレクサンデル6世の愛人の家があったとされている1ことからボルジアの階段と呼ばれています。階段のトンネルを抜けるとミケランジェロのモーゼ像で名高いサン・ピエトロ・イン・ヴィ…