古代ローマ時代の名門家、スキピオ家の墓

アッピア旧街道がはじまる、サン・セバスティアーノ門の内側に、スキピオ家の墓はあります。
スキピオ家は共和制ローマ時代の政治、軍事における名門家。

ここに墓地がある事は1600年代の初めには知られていましたが、それは当時流行っていたグランド・ツアーの一行で、
おそらく、イギリスやフランスの名門貴族の青年たちは土産として、いろいろと持ち出したのであろうと言われています。

1780年、ここに住んでいた兄弟がワイン貯蔵庫として使っていた穴蔵の奥に墓への入口を発見したことが、この遺跡の発見へつながりました。

スキピオ家の墓は、ハンニバルとの戦い、第二ポエニ戦役で最終的には勝利を挙げた大スキピオ、スキピオ・アフリカヌスの
曾祖父にあたる、ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥスの代からはじまり、紀元1世紀ころまで、スキピオ家の墓として続きます。
スキピオ・アフリカヌスはここには眠っていません。
このバルバトゥスの棺は見事で、そのオリジナルは現在はヴァチカン美術館に置かれています。

スキピオ家がここに墓をつくったのは、当時、アッピア街道が開通しようとしており、名門家としては、このローマの一大事業のはじまりに近接していることに意義があったのではとされています。

スキピオ家の墓以外に、コロンバリウム1と呼ばれる共同墓地や、キリスト教徒の墓地も敷地内には発見されています。
ここはアウレリアヌスの壁の中になりますが、この時代の壁はセルウィウスの壁であったので壁の中に墓を設けてなはらないという古代ローマの掟を破っているわけではありません。

ということでアウレリアヌスの壁の中には珍しい、共同墓地なのです。

ほかの見どころとして、石灰炉があります。
大きなドーム状の空間で、遺跡などからトゥーフォと呼ばれる凝灰岩やトラバヴァーティンを窯に入れて、建築材としてセメントにしていた施設といいます。

スキピオ家の墓、共同墓地の上にローマ時代のドムス(邸宅)が建てられ中世にさらに家が増築され、地上は現在のような姿になっています。

天井が低いため、ヘルメットをかぶっての見学。
探検さながらでおもしろいですよ。

  1. 初期キリスト教時代の納骨所。壁龕が鳩、コロンバの小屋に似ていることから。 ↩︎

スキピオ家の墓
Sepolcro degli Scipioni

 Via di Porta San Sebastiano 9 Roma

 

アクセス・入場

ポルタ・サン・セバスティアーノの壁博物館でチケットを購入
案内人と一緒に見学する。

入場料 4ユーロ

 ※この記事の内容は掲載時のものであり、現在と異なる場合があります。 

古代ローマ時代の名門家、スキピオ家の墓