ドルーススのアーチ

アッピア街道の起点のポルタ・サン・セバスティアーノのに重なるように建つ、

崩れかけた凱旋門のようなこの遺構は、門のような形をしているが、

この通りの先にあるカラカッラ浴場へ水を引いていた水道橋の一部。

長いこと凱旋門と信じられていたので、その名前もカエサルの時代の軍人、クラウディウス・ドルーススに

よるものとされ、今もそのままその名前で呼ばれている。

実際にはもっと時代が下った3世紀の、マルキア水道橋から分岐したアントニウス水道橋の遺構とされている。

今日ではハトのアパートになってる感あり。


 

ドルーススのアーチ

Arco di Druso

Via San Sebastiano

ポルタ・サン・セバスティアーノはすぐそこ。

{mosmap lat=’41.873428’|lon=’12.501535’|text=’凱旋門ではなくて、古代水道橋の遺構ドルーススのアーチ’}

 

※この記事の内容は掲載時のものであり、現在と異なる場合があります。

ローマをお散歩編集人

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