モレッティの青年の家

蚤の市で知られるポルタ・ポルテーゼがある通りに、ルイジ・モレッティの「トラステヴェレの青年の家」と呼ばれる建物があります。かつてユースホステルであったためこの名がついています。現在はそのホールは展示のための空間となっており、建築にちなんだ企画展などが催されています。

 外部から建物の全貌を捉えるのは難しいのですが、エントランスを含む塔のような白い面に彫られてあるスローガンが建築の様式としてのイタリア合理主義というより、ファシズム建築である印象をより強くさせます。

ルイジ・モレッティという若くして才能を発揮した建築家が、大々的に語られないのは、本人のファシズムへの傾倒の強さが世界大戦後の負のイメージのファシズムと重なるからといえます。 

内部の階段ホールに掲げられた、アフリカ大陸の地図もファシズム政権の植民地政策が描かれたものでこの建物が青年の家として計画されたことに気づき、驚愕します。当時の青年たちが闘争への道へ導かれていったのです。

 

 

 

-勝たなくてはならない。

より必要なのは戦うことだ。

とあります。

上部にある Littorio リットーリオとは元来は古代ローマ時代の役人が持っていた棒の束を意味しますが、権力の象徴としてファシズム時代に使われたため、当時建設されたリットーリオ宮殿という名前などは残されていません。

建築について追記予定です。

トラステヴェレの青年の家(1933年)

建築家 ルイジ・モレッティ

オスティエンセもしくはトラステヴェレ駅からバス3B でトラステヴェレ大通り下車

トラム8番

より大きな地図で Razionalismo〜イタリア合理主義建築 を表示

イタリア合理主義建築つながりで、近くには映画館、Nuovo Sacher があります。

 

※この記事の内容は掲載時のものであり、現在と異なる場合があります。

モレッティの青年の家