主よ、何処へ ドミネ・クォ・ヴァディス教会
「主よ何処へ?」「ローマにもう一度十字架にかけられに」と、キリスト教徒弾圧のひどかった皇帝ネロの時代に、ペテロがローマがから逃れようとすると、イエスに出会い、こんな会話をした、といわれてい…
「主よ何処へ?」「ローマにもう一度十字架にかけられに」と、キリスト教徒弾圧のひどかった皇帝ネロの時代に、ペテロがローマがから逃れようとすると、イエスに出会い、こんな会話をした、といわれてい…
ナヴォナ広場に程近い、カンポ・マルツィオ地区のアルテンプス宮殿のローマ国立博物館です。1568年にドイツ系家系出身のアルテンプス枢機卿がパラッツォを購入し、今日までアルテンプス宮と呼ばれています。 ア…
現在はイタリア大統領の官邸となっているクイリナーレ宮殿の前の広場はローマで一番高い丘クイリナーレの丘の頂上にあります。官邸前に広がる広場のテラスからは遠くクポローネの名で親しまれる、サン・ピエトロ大聖…
アッピア旧街道の起点にちかいところにある、スキピオ家のお墓。スキピオといえば、イタリアの国家にもなっているあのスキピオ一族。政治、軍事に長けた中期共和制ローマ時代のローマの名家。その一族のお墓のあると…
アッピア旧街道がはじまる、サン・セバスティアーノ門の内側に、スキピオ家の墓はあります。スキピオ家は共和制ローマ時代の政治、軍事における名門家。 ここに墓地がある事は1600年代の初めには知られていまし…
ひきつづき、ヴェラーノのサン・ロレンツォ聖堂にて。 入口のポルティコは、第二次大戦中の連合軍の空爆で無惨にも破壊されたにもかかわらず、ポルティコに面する鮮やかなフレスコ画は奇跡的ともいえよう、惨事を免…
サスティナブル・デザインとか、持続する建築とか一時期よく耳にした言葉だ。どうもキャッチフレーズが誕生しては、そのとき盛り上がって収束していってしまう傾向がある。 イタリアでは日本のそのブームに遅れるこ…
ローライフレックス3.5Eがローマでデビュゥを果たした。 モノクロで撮ろうとあれこれイメージしていたものの、 ひょっとしてローライフレックスで、なにか違う色のローマが 撮れるのかもしれない、とわくわく…
ロバート・キャパの生誕100年を記念してイタリアでも写真展開催中。 キャパが連合軍に混ざってアフリカ大陸からシチリア半島に上陸して 北上して行く過程での写真。 同盟国を脱退した後のイタリアの悲劇はこの…
ローマの冬の風物詩のひとつ、ナヴォナ広場のクリスマス市。 プレゼピオの人形やお菓子を売る市が広場一面に立つ。 レプッブリカ紙ローマ版によると、今年は11月25日から市が立ち始めるが、 近年は、市で売ら…
長年の願いであった、アッピア街道の終点を訪れる機会に恵まれた。 そして古の人よろしく、ブリンディシから船旅に出た。 旅の覚え書きとして、時折綴ってみる。 同じような行程をいく人の参考にもなればと思う。…
古代ローマの中心から数えて1マイルのところに据えられたマイルストーン。ポルタ・サン・セバスティアーノを出てアッピア旧街道を少し進むと出会います。1マイルといっても古代ローマ時代のマイルで、1000歩を…
始めがあれば終わりがある。街道の女王と呼ばれるアッピア旧街道にも終点が。
長靴の姿のイタリア半島のかかとあたり、プーリア州の港町、ブリンディシ。
東方諸国との交易の起点として紀元前244年にローマ帝国の (さらに…)
アッピア街道のチェチーリア・メテッラの霊廟から500メートルほどのところにあるちょっとした遺跡、牛の頭を意味するCapo di Bove カーポ・ディ・ボーヴェ。浴場施設のあるこの遺跡は2世紀中頃のも…
ローマの街をぐるっと巡っているアウレリアヌスの壁にある門のひとつ、ポルタ・サン・セバスチアーノの上に博物館があります。古代ローマ時代の床モザイクや、アウレリアヌスの壁にまつわるものの展示がされています…
ローマの歴史的中心地区に近未来的な建築が登場と思いきや、2012年12月で閉まる、 といわれていたコロッセオについに修復作業用の足場がかかる。 なんと単管パイプ。ユニット足場でせめてくると思っていたの…
デッラ・ポルタ、ジャコモ Della Porta, Giacomo 1532-1602 イタリア内外で活躍したコモ地方出身の彫刻家、建築家の一族に生まれ、バロック期にローマで活躍した彫刻家、建築家。 …