ポルタ・サン・セバスティアーノの壁博物館
ローマの街をぐるっと巡っているアウレリアヌスの壁にある門のひとつ、ポルタ・サン・セバスチアーノの上に博物館があります。古代ローマ時代の床モザイクや、アウレリアヌスの壁にまつわるものの展示がされています…
ローマの街をぐるっと巡っているアウレリアヌスの壁にある門のひとつ、ポルタ・サン・セバスチアーノの上に博物館があります。古代ローマ時代の床モザイクや、アウレリアヌスの壁にまつわるものの展示がされています…
古代ローマの中心から数えて1マイルのところに据えられたマイルストーン。ポルタ・サン・セバスティアーノを出てアッピア旧街道を少し進むと出会います。1マイルといっても古代ローマ時代のマイルで、1000歩を…
アッピア旧街道の2マイルから3マイルを歩いていると緑の丘の合間に塔だけが頭をのぞかせた遺構が見えてきます。街道から見えるのは一部ですが、塔の向こうには競技場が広がっています。4世紀の皇帝マクセンティウ…
「主よ何処へ?」「ローマにもう一度十字架にかけられに」と、キリスト教徒弾圧のひどかった皇帝ネロの時代に、ペテロがローマがから逃れようとすると、イエスに出会い、こんな会話をした、といわれてい…
アッピア街道のチェチーリア・メテッラの霊廟から500メートルほどのところにあるちょっとした遺跡、牛の頭を意味するCapo di Bove カーポ・ディ・ボーヴェ。浴場施設のあるこの遺跡は2世紀中頃のも…
始めがあれば終わりがある。街道の女王と呼ばれるアッピア旧街道にも終点が。
長靴の姿のイタリア半島のかかとあたり、プーリア州の港町、ブリンディシ。
東方諸国との交易の起点として紀元前244年にローマ帝国の (さらに…)
アッピア街道からラティーナ街道が分岐するところにひっそりと建っているサン・チェザーレオ・イン・パラーティオ教会。そのファサードはジャコモ・デッラ・ポルタによるもとされていますが、この教会の起源の詳しい…
ナヴォナ広場に程近い、カンポ・マルツィオ地区のアルテンプス宮殿のローマ国立博物館です。1568年にドイツ系家系出身のアルテンプス枢機卿がパラッツォを購入し、今日までアルテンプス宮と呼ばれています。 ア…
ポルタ・カペーナ、カペーナ門はセルウィウスの壁に開けられた門のひとつですが、今日ではその全容がわかる遺構は残されていません。アッピア街道とラティーナ街道の起点となる門でした。途中で枝分かれしてアッピア…
アッピア旧街道の起点にちかいところにある、スキピオ家のお墓。スキピオといえば、イタリアの国家にもなっているあのスキピオ一族。政治、軍事に長けた中期共和制ローマ時代のローマの名家。その一族のお墓のあると…
アッピア旧街道がはじまる、サン・セバスティアーノ門の内側に、スキピオ家の墓はあります。スキピオ家は共和制ローマ時代の政治、軍事における名門家。 ここに墓地がある事は1600年代の初めには知られていまし…
ローライフレックス3.5Eがローマでデビュゥを果たした。 モノクロで撮ろうとあれこれイメージしていたものの、 ひょっとしてローライフレックスで、なにか違う色のローマが 撮れるのかもしれない、とわくわく…
長年の願いであった、アッピア街道の終点を訪れる機会に恵まれた。 そして古の人よろしく、ブリンディシから船旅に出た。 旅の覚え書きとして、時折綴ってみる。 同じような行程をいく人の参考にもなればと思う。…
パラティーノの丘の向かいに位置しながら、観光客が多く訪れている気配はないサン・グレゴーリオ・マーニョ、大聖グレゴリウス教会ですが、キリスト教の歴史、とりわけ英国には大きな影響を与えたました。ゆったりと…
中世における重要な絵画をローマで見るとしたら、サンティ・クワットロ・コロナーティ教会と、こちらのポルタ・ラティーナの聖ヨハネ教会といえるでしょう。人が行き交うような雰囲気の場所ではないですが、中世の絵…
第二次世界大戦中、1943年に連合軍より爆撃を受けたローマの聖堂です。この聖堂があるサン・ロレンツォ地区は空爆の被害を受けたローマのエリアで、全壊は免れたものの、ファサードのモザイクのは修復に至りませ…
実際の距離もその宗教的な間隔の距離も超えて、なにかと日本のメディアでも取り上げられる ローマ法王フランシスコ。 一俗人であるわたしにはとても親しみやすく、その発言に注目してしまう。 教義云々ということ…