語られるイタリア合理主義建築と語られないそれら。

イタリア合理主義建築の代表的な建築家として挙げられるのはジュゼペ・テッラーニであろう。

作品集で後世にその実績を伝えられるくらいの作品数を残しているのがまず大きい。

しかしイタリア合理主義建築の作品群ががこれほど多く集まるローマにおいて

実績はひとつもない。

実はこれが幸いしている。

ローマのイタリア合理主義建築はファシズム建築とも呼ばれ、

そのほとんどがムッソリーニの下で計画されたものであり、

彼に庇護されたお抱え建築家がその多くのプロジェクトに関わった。

公共のプロジェクトに携われるのは建築家冥利に尽きる。

しかし、大戦中から戦後のファシズム政権の世間での認識が、

それらのプロジェクトに中心的に関わった人物を社会的に抹消したかのように

後世でその実績が多く語られることはなかった。

ピオ・ピアチェンティーニは写真アーカイヴでも見られるように、

ムッソリーニの現場視察の際は常にといっていいほど横にいた。

ルイージ・モレッティもそのひとりではないかと私は思っている。

若くして開いた建築家としての才能であったが、イタリアでは抹消とはいいがたい存在であるが

日本では広く知られるにはいたっていないと思う。

先に登場したジュゼッペ・テッラーニは一度、現在のフォロ・ローマの近くのプロジェクトの

設計競技に選ばれたのだが、建物の実現には至らなかった。

設計競技に何度も参加しているが、意図的かのように選ばれることは無かった。

 

公共建築はかつて政治と大きく結びついていた。

その権力が悪となればそれに関わった建築家の立ち位置も後世まで変わってしまう。

公共建築は少なく、お金と結びついた建築は今後、後世にどう判断され

語り継がれていくのだろう。

果たして語り継がれるほど残されていくのかも、今日の建築の存在は不明だ。

 

 

 

青年へのスローガンがすごすぎる。戦争は恐ろしい。
あまり語られることの無い、ルイージ・モレッティの青年の家@ローマ    青年へのスローガンがすごすぎる。戦争は恐ろしい。

 

テッラーニのコモの戦没者記念碑。重い。なんという重い建築であろう。
テッラーニのコモの戦没者記念碑。重い。なんという重い建築であろう。

 

 

 

 

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