すべての道はローマへ通ず、の起点そして基点。
すべての道はローマへ通ずという言葉は決して古代ローマ時代の言葉ではない。
17世紀のイタリアでもなくフランスの詩人ラ・フォンテーヌの言葉。
その意味合いも、古代ローマ街道のようにまっすぐのびて、
すんなり通ずるというか、辿る道はどうであれ、目指すところに行き着くよ、
ということらしい。
古代ローマ人はあまりにも効率よくまっすぐ道を造ってしまったがために、
自分たちが攻めに行くのはよかったが、攻められるのも速く、
4世紀にはぼろぼろになり、世界の中心、caput mundiではなくなった。
街道の女王と呼ばれるアッピア街道の起点は、チルコ・マッシモとカラカッラ浴場の間にある、
ポルタ・カペーナ、カペーナ門が出発点であった。
今ではその跡は少ししか見られないセルウィウスの壁という、起源は紀元前6世紀(遠い目)に
さかのぼる壁に開けられた門である。
つまり、アッピア旧街道の入口に見られる最初のマイルストーンの1ローママイルは、
カペーナ門から数えて1マイル。
カペーナ門は今日では遺っておらず、どうやらカラカッラ帝が壊したのではないの?
という説もあるらしい。お風呂作るのにご執心で?
カペーナ門もアッピア街道がカプアまでの街道であったので、
カプアからカペーナ門と呼ばれていた訳で、
以前はこの一帯が源泉があったことから、ローマ神話の泉の女神、カメナから
カメナ門と呼ばれていたとされる。
古代ローマというと戦いのイメージが強く血なまぐさいが、
泉の女神、なんて澄んだイメージなのであろう〜、
と、そのきれいなイメージを覆すかのように、起点と推測される位置に建つマイルストーンは、
今日の交通標識で装飾され、しかもマイルストーンはオリジナルではなく、
かのムッソリーニが政権を握っていた時代に、ここを起点として、
オスティアまでの”街道”計画のときに作ったという。
このなんちゃってマイルストーンは、時々ローマ近郊の街にも登場する。
