用語集

ローマの散歩に使える用語集。
まだまだ作成段階です。見つからない言葉がありましたらごめんなさい。










あ-ア

アウレリアヌスの壁 mura aureliane

古代ローマ末期の皇帝アウレリアヌスがローマ防衛のために超突貫工事でつくった壁。
既存の古代ローマ時代のピラミデ(カイウスの墓)やローマ水道橋などの遺跡を利用して、短期間でローマの街を壁で巡らせた。
サン・ジョヴァンニ門、サン・セバスティアーノ門、ピア門などはこのアウレリアヌスの壁に開けられた門。
ローマ時代の遺跡でも栄華を誇る遺跡というよりは、弱体化してくローマを今日に伝える遺跡。
現代ではローマ市が、便宜上、ローマの街の中心として境にしている。
空の玄関口、フィウミチーノ空港と市街間のタクシーの均一料金を決める基準にもなっている。

間違えやすいのは、皇帝アウレリウス。こちらはまだローマが栄えていた頃の皇帝で、哲学者でもあり賢帝としてもしられる。
カピトリーニ美術館のあるカンピドーリオ広場に馬で馬にまたがっているのは、皇帝アウレリウスの方。



アウレリウス、マルクス Aurelius, Marcus

賢帝と呼ばれた哲学者であり歴史学者でもあるローマ皇帝。
カピトリーニ美術館のあるカンピドーリオ広場に手を高く上げて馬にまたがっているあの御仁。

著書「自省録」など。ギリシャの哲学者の言葉が、ローマの歴史上登場した人物・出来事になぞらえて語られているので「事例付き」のような手軽に読める哲学書のようで、しかも本人が思いついたときにしたためた箇条書きなので、読みやすい。
そして日本語に訳されているおかげで。

アルコソリウム、arcosolium,arcosolio(伊)

墓碑の建築的な要素。
古代ローマでは初期キリスト教時代にカタコンベ(地下共同墓地)では壁にほこらのようにつくられた。
ルネッサンス、バロック期には、教皇などの墓碑は教会の中にニッチ(壁龕)につくられた。
下の写真は高速道を建設中に発掘されたノメンターナ街道の共同墓地のアルコソリウム
テルミニ駅近くのローマ国立博物館に移設されているので、博物館を訪れる人はだれでもみることができる。




い-イ


う-ウ


え-エ


お-オ


か-カ

カペーナ門 Porta Capena

カペーナ門はセルウィウスの壁に開いていた門のひとつ。
セルウィウスの壁も多くは残されていない中、いくつかの門は現在も残されているがこのカペーナ門は残されていない。
カペーナ門は紀元前312年につくられたアッピア街道とラティーナ街道の起点である。
カペーナの名は、当初アッピア街道がカプアという街まで建設されたので、Capuaに由来するとされている。
アッピア街道が建設される前まではこの一帯が水の湧く地帯であったことから泉の女神の名をとって、カメーナ門と呼ばれていたとされる。
今日でもチルコ・マッシモからカラカッラ浴場に続く道に平行してヴァッレ・デッレ・カメーネ通りがある。


き-キ


く-ク


け-ケ


こ-コ


コズマーティ様式、コズマ様式

12-14世紀にかけてローマで大理石装飾の技術に長けた一族が活躍し、その一族の名前を取ってコズマーティ様式、コズマ様式と呼ぶ。
また、その様式を踏襲した一族以外の装飾も含めてコズマ様式、コズマーティ様式と呼んでいる。
回廊、司教玉座、説教壇、聖水盤、燭台、墓碑、床など教会に関するあらゆる大理石装飾の仕事をしている。 目に付きやすいのは床の大理石のモザイク。
ヴァチカン美術館にある中世の画家ジォットが描く玉座、祭壇などに描写されている。


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さ-サ


し-シ


す-ス


せ-セ

セルウィウスの壁 le mura serviane

文献も少なく伝説のように語られる古代ローマ王制時代の紀元前6世紀、6代目の王セルウィウス・トゥッリウスの時代にローマの街に壁が建設されたという。
その後、紀元前4世になって、セルウィウス王が建設した壁の跡をなぞるように建てられたの壁がセルウィウスの壁と呼ばれている。
現在も遺るアウレリアヌスの壁より内側にあり、周長は11km程度で、さほど広い範囲ではない。
現在はテルミニ駅近くでその連続した遺構を見ることができる。
その他ではチェリオの丘の門の一部とエスクイリーノに壁に開いた門が見られる程度である。
ローマが共和制、帝政となるまで、この壁は機能していたが、帝政ローマの3世紀頃には必要がなくなり取り壊された。ところが帝政ローマの後期、4世紀に入ると蛮族がローマへの侵入を繰り返し、アウレリアヌス帝の時代にアウレリアヌスの壁を張り巡らすことになる。
この壁には17つの門が開いていたとされるが、そのうちのポルタ・カペーナは後のアッピア街道とラティーナ街道の起点となる。
ポルタ・カペーナの遺構は今日では残されていない。
緊急に必要に迫られて建設されたアウレリアヌスの壁との違いはローマ近郊で採れるトゥーフォという凝灰岩の大きな塊で積み上げられていること。
高さも高くて10mほどである。一方アウレリアヌスの壁はレンガで積み上げられており、その高さも高い。
テルミニ駅前のチンクエチェント広場のマルサーラ通りの側に一連の遺構を見ることができる。
また、テルミニ駅の地下のショッピングモールには基礎の遺構が遺っている。


そ-ソ


た-タ


ちーチ


つ-ツ


て-テ


デッラ・ポルタ、ジャコモ Della Porta, Giacomo
1532-1602

イタリア内外で活躍したコモ地方出身の彫刻家、建築家の一族に生まれ、バロック期にローマで活躍した彫刻家、建築家。 ローマでも有数の美しい噴水の数々、教会のファサードを手がけている。

代表作
ムーア人の噴水・ネプチューンの噴水(ナヴォナ広場)*
亀の噴水
サン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会ファサード*2
ジェズ教会ファサード
トリニタ・ディ・モンティ教会

*2 ドメニコ・フォンターナと協働

と-ト


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な-ナ


に-二


ぬ-ヌ


ね-ネ


の-ノ


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は-ハ


バジリカ basilica

ローマを語る際には時代において、このバジリカという言葉が表すものが違ってくる。
古代ローマ時代は、フォロ・ロマーノの巨大なアーチ型が3つ並びに刳られた遺跡がバジリカの典型。
古代ローマ時代は集会所、もしくは裁判が行われる公共の施設。
その後、ローマでキリスト教が広まり始めた頃、初期キリスト教建築の教会において、古代ローマ時代の集会所の平面形式をとっていたことから、バジリカ様式の教会などと表現される。比較的古い教会がこの形式をとる。
その後、教皇統治のローマにおいて、ヴァチカンが特権を付与した教会をバジリカと表現するようになる。

ローマ4大バジリカは、

ひ-ヒ


ピアチェンティーニ、マルチェッロ Piacentini, Marcello
1881-1960

ローマ出身の建築家、都市計画家
ローマ大学建築学部で建築と都市計画の教鞭をとった。
ブルーノ・ゼヴィの前任者。
ネルヴィと共に、EURのパラロットマティカを設計している。


ピアチェンティーニ、ピオ Piacentini, Pio

1846-1928

ローマ出身の建築家。
イタリア統一(リソルジメント)後の新首都ローマとしてのシンボリックな建築を手がける。
マルチェッロ・ピアチェンティーには息子。
代表作として、パラッツォ・デッレ・エスポズィツィオーニ、法務省、また建築家ジュゼッペ・サッコーニの没後、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂のプロジェクトを引き受けたひとり。



ふ-フ


フォンターナ、カルロ Fontana, Carlo
1638-1714

石工職人を多く生み出したスイスの出身で若くしてイタリアに移住し、才能と正確な仕事が見出され、
ローマではピエトロ・ダ・コルトーナとカルロ・ライナ ルディの工房で働いている。

サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会のポルティコ(柱廊)-1709
サンタンドレア・デッレ・ヴァッレ教会のクーポラ-1670

フォンターナ、ドメニコ Fontana, Domenico
1543-1607

ルネッサンス後期にローマとナポリで活躍したスイスのティチーノ州出身の建築家。
今日ローマの名所として知られるものの数々を残している。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂のオベリスクとロッジア
モーゼの噴水
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のクーポラ
サン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会ファサード(ジャコモ・デッラ・ポルタと協働)

フェルディナンド・フーガ Ferdinando Fuga

1699-1782(フィレンツェ生、ローマ没)
ローマやナポリにその代表作を残したバロック期の建築家。

ローマにおける代表作
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のファサード
サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会のファサード
ジェズ教会のファサード
コンスルタ宮殿 

へ-ヘ


ベルニーニ、ジャンロレンツォ Bernini, GianLorenzo
1598-1680

バロックの巨匠の一人で彫刻家、画家であり建築家。
教皇ウルバヌス8世がよき彼のパトロンであることから、バルベリーニ家に関わるプロジェクトなども多く手がけている。
 同じくバロックのもう一人の天才ボッロミーニとライバル同士のように著述される。
父ピエトロも彫刻家。 ベルニーニのみで表現される場合はこちらのベルニーニ。



ベルニーニ、ピエトロ Bernini, Pietro
1562-1629 巨匠と呼ばれるジャンロレンツォ・ベルニーニの父で画家で彫刻家。
ローマのスペイン階段の下のバルカッチャの噴水は父息子の協働によるもの。

ほ-ホ


ボッロミーニ、フランチェスコ Borromini, Francesco
1599-1667
スイスのカントンーティチーノ州生まれのバロックの巨匠の一人で建築家。
本名 カステッリ・フランチェスコ
ジャンロレンツォ・ベルニーニとライバルとして著述されることが多い。
実際のところベルニーニの正統派の美に対して、ボッロミーニのそれはその時代までにない曲線と幾何学の生み出す特有の美であり、同じ時代に生きなが らも作り上げたものは異種である。
貴族的なベルニーニとは異なり職人肌の天才。 豪奢なイメージのあるバロック様式ではあるが、レンガ、しっくいのような質素な素材も巧みに使いこなした。
1667年、精神的な失意の中、自らを剣で切りつける形で命を絶った。

ローマにおける代表作
サン・カルリーノことサン・カルロ・クワットロ・フォンターネ教会

ポルタ・カペーナ

カペーナ門参照


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ま-マ


マデルノ、カルロ Maderno, Carlo
1556-1629

大理石の優れた職人を生み出すスイスのティチーノ地方の生まれでイタリアでルネッサンスからバロック期にかけてローマを中心に活躍した建築 家。
サン・ピエトロ寺院のファサードを手がけたことで有名。
建築家ドメニコ・フォンターナの甥。

主な作品
サンタ・スザンナ教会 ファサード
サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会 ストゥッコ仕上げ
サンタンドレア・ デッレ・ヴァッレ教会 クーポラオおよびプラン設計
サンタンドレア・デッレ・ヴァッレ教会広場の噴水
サン・ピエトロ寺院 ファサード
サンタ・プデンツィアーナ教会 カエターニ礼拝堂
サ ン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂 サン・ロレンツォ礼拝堂
サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ教会
カステル・ガンドル フォ宮殿
クイリナーレ宮殿

自らがファサードを手がけたローマのサン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ教会ボッロミーニと共に眠っている。

み-ミ


む-ム



め-メ



も-モ


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ら-ラ


ライナルディ、カルロ Rainaldi, Carlo
1611-1691

ローマ出身のバロック期の建築家。ジャコモ・ライナルディは父。
ポポロ広場の双子の教会、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会とサンタ・マリア・イン・モンテサント教会、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の後陣側のファサードを手がけている。またここでは教皇クレメンス4世の墓も手がける。
サンタンドレア・デッレ・ヴァッレ教会のファサード、バロック期にしてアンドレア・パッラーディオの影響を受けている、サンタ・マリア・イン・カンピテッリ教会も手がける、バロック期の重要な建築家の一人。


り-リ



る-ル



れ-レ


ろ-ロ


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や-ヤ



ゆーユ


よ-ヨ


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わ-ワ


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ローマをお散歩編集人

ローマをお散歩編集人です。 街歩きのヒントが見つかるかもしれません。

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