1960年に開催されたローマオリンピックで競技会場となった複合スポーツ施設、フォロ・イタリコ。その起源はファシズム時代に遡ります。当時はムッソリーニのフォーラムと呼ばれていました。
現在でも施設の入り口にはムッソリーニの名が刻まれた巨大なオベリスクや、ファシズム時代のモザイクが床に残されています。
中でもスタディオ・オリンピコはサッカーセリエAの常駐チームであるASローマとラツィオのホームグランドになっており、ローマダービーが開催される日はローマでもっとも熱い場所となります。
最近の大きなスポーツイベントではでは2009年の世界水泳選手権が記憶に新しいです。
テヴェレ側にかかるドゥーカ・アオスタ橋を渡ると巨大なオベリスクに出迎えられます。そこがフォロ・イタリコの入り口です。
門を入ると床にはファシズム時代のモザイクが一面に広がります。
DVCE DVCE=DUCE DUCE 総統、総統、とはムッソリーニのこと。
ドキュメンタリーや映画の中にも見られる、腕を高く掲げる独特のポーズ。





正面にはスタディオ・オリンピコ

競技場に向かって右に、いかにもファシズム時代らしい競技場が見えてきます。





筋骨隆々の大理石のアスリートがずらりと並ぶのは大理石スタジアムと呼ばれ、市民も太陽の下、憩います。
ビアンコ・カラーラの大理石の像は60体に及びますが、実際は一体足りない59体。
イタリア合理主義建築を代表する建築のひとつで、1935年にエンリコ・デル・デッビオにより完成。
デッビオはこのスタジアムのほか、フォロ・イタリコの中では入り口のオベリスクの近くのレンガ色の建物の体育・教育アカデミーの校舎にも携わっています。
オベリスクの近くの建物は屋内競泳プールがあり、美しい壁のモザイクが印象的です。
※この記事の内容は掲載時のものであり、現在と異なる場合があります。
初投稿日: 2010年6月1日











スタディオ・オリンピコとフォロ・イタリコ
Stadio Olimpico Foro Italico

メトロA線 Flaminio(フラミニオ)駅から2番のバスで、
フラミニオ街道を折り返したPiazza Mancini(マンチーニ広場)下車 ドゥーカ・ダオスタ橋を渡ってすぐ。