カトリック教会がとてつもなく裕福であった16世紀に、ローマはその富も力もある教皇の下、ベルニーニとボッロミーニという芸術家がローマの街を装飾し始めます。
そして二人は、後世の美術評論家達にバロックと呼ばれる芸術様式の先駆者となります。
このバロック芸術が今日のローマの都市空間を特徴づけているといっても過言ではないでしょう。
何かとライバルとして著述されるベルニーニとボッロミーニの他にも、ローマにバロックの華を咲かせた芸術家達はたくさんいます。
優秀な大理石職人を輩出してきたスイスのティチーノ州から才能ある多くの職人がローマにやってきています。
カルロ・フォンターナ、カルロ・マデルノ、ドメニコ・フォンターナが挙げられます。
そしてローマに来たら教会の絵を見ることをおすすめしたい、カラヴァッジョです。
美術館でも見ることができますが、聖アゴスティーノ教会、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会を訪れることをおすすめします。
教会の暗さがカラヴァッジョ絵画の光と影のコントラストを活かしています。
この頃の教会は、ローマカトリックの権威のみの教会だけではなく、
ローマの掠奪で疲弊したローマ市民は新しい心の拠り所を求めたことと合い重なり、
イエズス会、オラトリオ修道会などの教会が生まれます。
イエズス会の教会、ジャコモ・デッラ・ポルタによるジェズ教会のファサードはバロック様式の初期のものです。
オラトリオ修道会の小礼拝堂はボッロミーニが手がけています。
ルネッサンス期に始まったサン・ピエトロ大聖堂の改築は1626年に献堂されるまで続きました。
1606年にはミケランジェロが計画したギリシャ十字の平面の一面が、カルロ・マデルノによって、現在のファサードのところまで延ばされ、ラテン十字の平 面となりました。そのマデルノによってファサードが完成され、
正面にはベルニーニよる壮大なサン・ピエトロ広場がつくられ、1502年に投げかけられたプロジェクトにピリオドが打たれます。
このバロックの時期は数ある広場が美しい噴水で飾られた時代でもあります。
ナヴォナ広場の四大河の噴水などの噴水群、バルベリーニ広場にはベルニーニの噴水が2つ、スペイン広場のバルカッチャの泉、そして時代は下りますが、ローマに来たら寄らずには去ることができないトレヴィの泉。
素晴らしいのは、噴水だけの美しさだけではなく、都市の空間を見事に演出しているということです。
ベルニーニにおいては教会の内部をその官能的ともいえる彫刻で飾りました。
ボッロミーニにおいてはその革新的な独特の曲線において教会の空間を、ファサードを美しく生み出しました。
二人の巨匠の影に隠れがちなピエトロ・ダ・コルトーナのバルベリーニ宮殿の天井画も息をのむほど美しい。
このような素晴らしい芸術が生まれたのも教皇という権力をもった庇護者がいてのことで、
特に、バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世はベルニーニのよきパトロンでした。
1700年代に入るとフランスの資金援助を得て、スペイン階段がつくられ、ローマは劇場空間都市となります。
1734年にはクレメンス12世によりカンピドーリオの丘のヌォーヴォ宮殿が世界で最初の美術館として一般に公開されます。
現在のカピトリーニ美術館です。
文化がこれだけ華開き、順風万帆のようですが、これだけの建築の資材がすべて新しく調達できたわけではありません。
この時代のコロッセオは石切り場で、古代の遺跡が新しい建物のために切り出されていきました。
サン・ピエトロ寺院のベルニーニのバルダッキーノ(天蓋)のためにパンテオンにあった2本の鐘楼の鐘が熔かされました。
確かにこの頃は、古代ローマ時代の遺跡は牛が放牧されているほどの荒れようでした。
1660年ごろになると、イギリスの裕福な貴族の子息がフランス、イタリアを旅して学ぶ、修学旅行のようなグランド・ツアーが流行り始め、古代遺跡にも再びスポットが当たり始めます。