イタリア共和国の首都となったローマは、1960年にはオリンピック開催都市となります。
1964年の東京オリンピックの前のオリンピックです。
ムッソリーニが遺したかつてのフォロ・ムッソリーニがフォロ・イタリコとして、
オリンピックのメイン競技場となります。
オリンピックに合わせ、フォロ・イタリコのテヴェレ川をはさんだ反対側のエリアに選手村がつくられ、
また、近代建築の代表作、ピエル・ルイージ・ネルヴィのパラッツォ・デッロ・スポルト(屋内体育館)が建設されます。
また、1942年に計画されたローマ万博のための都市計画、EUR(エウル)にも、
パラロットマティカという屋内体育館がつくられます。
1950年代からは、戦争ために工事が中止になっていたEUR(エウル)の建物の工事が再開され、
当初の用途とは異なる形で誕生します。
60年代にはローマは世界に誇る映画を生み出しています。
その中心がムッソリーニがつくった「映画都市」チネチッタです。
歴史からいえば負のイメージのムッソリーニですが、その本人が生み出したものを遺し、
こうして都市の再生にうまく利用していて、それすらを文化遺産としているのは数千年の文化の歴史のある場所と
石の建築文化があったからでしょうか。
2000年には21世紀という新しい時代への突入とジュビレオ(聖年)を迎え、ヴァチカン市国に隣接するローマは忙しい年を迎えました。
街の中心に2000年以上も昔の巨大な建造物を包み込む都市ローマがこれからどのように変遷していくのか、
楽しみでありつつ、一方で大きくは変わって欲しくない願望があります。
なによりも永遠の都であり続けることを願います。
街を歩いていると怒り心頭なことが度々、なんですけれど、ね。