ポポロ広場

ローマの北の入口、ポポロ広場。今の姿の広場は、ローマでは比較的新しい広場、市民、観光客の憩いの場となっており、週末にはセグウェイや4人乗り自転車を乗り回す若者であふれかえります。

かつてグランド・ツアーや巡礼者はこの広場の北に延びるフラミニア街道から、フラミニア門(通称ポポロ門)を通ってローマにやって来ました。 

のどかな雰囲気が漂う広場ですが、常に楽しい場であったわけではありません。

広場のはじまりは1589年、ローマに都市計画をもたらした教皇シクトゥス5世が、ドメニコ・フォンターナに依頼してオベリスクを建立させたことに始まります。
エジプト制圧後、皇帝アウグストゥスがチルコ・マッシモの装飾のためにエジプトからローマに運んだオベリスクです。

1600年代後半には広場に面して、カルロ・ライナルディによって通称、双子の教会が建てられました。

19世紀に入り、ピンチョの丘のデザインをしたジュゼッペ・ヴァラディエールによって楕円形の広場が完成しました。

18世紀、19世紀には、撲殺、ギロチンによる公開処刑の場となったポポロ広場。
また、カーニバルの祭りに乗じて残虐な催しも行われていたといわれています。
ポポロ広場からヴェネツィア広場に抜けるコルソ通りのを裸馬を走らせるレースも開催され、しかも、馬を鼓舞させるために棘付のロープを馬の体に巻いて花火のようなものをかかとにつけさせたとか。
ひどい話です。でもコロッセオで興じていた人びとなので、そう思えばお驚きも少ないかもしれません。

と、負の出来事はさておき、ポポロ広場は今日ではイベントやアーティストのインスタレーションの場となっています。
がらんどうの広場であることのほうが珍しいかもというくらい、何かしら催し物が開かれています。

また、ポポロ広場はIl Tridenteと呼ばれる三叉路、バブイーノ通り、コルソ通り、リペッタ通りの起点。
バブイーノ通りを行けばスペイン広場に、コルソ通り行けばヴェツィア広場まで、道の両脇はお店、お店が軒を並べ、週末は歩行者天国となるにもかかわらず、それでも歩くのが難しいくらいになります。

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ポポロ広場
Piazza del Popolo

Piazza del Popolo  – Roma

 

メトロA線 Flaminio(フラミニオ)駅
バス 117,119番 他

 

 

ポポロ広場