パラティーノの丘の向かいに位置しながら、観光客が多く訪れている気配はない教会であるが、キリスト教の歴史、とりわけ英国には大きな影響を与えた教会。
ゆったりと大きな階段の上に建つ今日の姿はバロック時代に修復された
姿である。
ファサードをくぐると中庭にでて、また第二のファサードともいえる
やわらかい黄色の教会本堂の建物があらわれる。
教会の歴史は、大聖グレゴリウスの時代、6世紀に遡る。
アニキウス系のローマの貴族の家に生まれたグレゴリウスであったが、
神に心身を捧げる道を選び、575年に教会と修道院をつくった。
そして、その修道僧の一人であるアウグスティヌスが、
英国に布教に行き、後に初代カンタベリー司教となり、
その大聖堂は英国のみならず、
多くの人がその存在は知っているであろう。
教会前の中庭にはシエナの銀行家アゴスティーノ・キージの墓が置かれた時代があったが、
いつの日か、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のキージ家の礼拝堂に移されることとなる。
教会は身廊とそれをはさむ二つの側廊でなっており、
床は13世紀のコズマーティ様式のモザイクで埋め尽くされている。
祭壇に向かって左手にあるサルヴィアーティ礼拝堂には、
大聖グレゴリウスに話しかけたというマリア像のフレスコ画がある。
この礼拝堂はフランチェスコ・ダ・ヴォルテッラにより、
カルロ・マデルノによって完成された。
敷地内には、聖アンドレア、聖バルバラ、グレゴリウスの母、聖シルヴィアの礼拝堂が建っており、
内部のフレスコがが美しい。
グイド・レーニのフレスコ画である。
現在もカマルドレージの男子の修道院となっている。
菜園のある庭に建つ、バルバラ礼拝堂の地下には、この教会の前の通りの地下からつながった
古代ローマの遺跡が眠っている。
その一連の遺跡の一部が、Case Romaneとして一般公開されている。
チェリオの丘は、ローマの街の歴史がまさに積み重なって遺跡として遺っており、
興味がつきないエリアなのである。
■ギャラリー(クリックで拡大)
■聖大グレゴリウス教会
Chiesa di San Gregprio Magno
Piazza di San Gregorio
地下鉄B線 チルコ・マッシモ(Circo Massimo)
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