あと少しでジャニコロの丘のてっぺんという手前に表れる、ローマの街を見下ろすかのような大きな泉です。古代ローマのトライアヌス帝がつくった水道の終点を讃えるMostra-モストラという装飾建築です。
他にも、有名なトレヴィの泉、共和国広場(Piazza Repubblica)の近くにある、モーゼの泉も同じ目的で作られた泉です。
ローマの北にあるブラッチャーノ湖から水をひいて、テヴェレ川の左岸にできた初めての泉です。
紀元109年のトライアヌス水道は完成しますが、時が経って、ボルゲーゼ家出身の教皇パウルス5世の命でフラミニオ・ポンツィオにより修復され、
その教皇の名にちなんでパウルスの泉とされました。
ボルゲーゼ家の紋章の鷹とドラゴンと教皇の冠がデザインされています。
1690年には建築家カルロ・フォンターナにより、5つの小さな水盤で水を受けていたのが大きな水盤に変えられ、現在に見られるような形となりました。
1849年にはフランスの砲撃によりダメージを受けています。
ローマを一望できるこの高さまで水を引いてくるのですから、古代ローマの技術は見事です。
文字通りにはパオラの泉、またガイドブックではこのように読んでいるようですが、acquaという女性名詞に準じてパオラとなっており、
実際は教皇パウルスの名から来ているので、こちらではパウルスとし ました。
■ パウルスの泉 ■
Fontana dell’Acqua Paola
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初投稿日: 2010年3月4日