ポンテ・ロット 壊れた橋

Ponte Rotto
ポンテ・ロット 壊れた橋

現在は橋脚のアーチがひとつしかない、橋としては機能していない遺跡で、ポンテ・ロット(壊れた橋)としてティベリーナ島の少し下流にあります。
かつてエミリオ橋と呼ばれた橋の起源は古代ローマ時代まで遡ります。

古代ローマ時代に野菜市場などがあったボアリム広場からテヴェレの反対側、トラステヴェレに渡る橋でした。

その後壊れた橋は絵にあるように修復を何度か繰り返し、現在では紀元前2世紀のオリジナルの部分だけが残されています。
橋としては機能しておりません。
当時の橋の先には通行料を徴収した物見櫓が建っていて、今は中世に櫓を邸宅として改築した「クレシェンツシの塔」として残っています。
また、エットレ・ロースラー・フランツはその元物見櫓をこの失われたローマシリーズで、コーラ・ディ・リエンツォの家といわれた家と題して描いています。

ポンテ・ロット(壊れた橋)についてはこちら。

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初投稿日: 2010年8月3日

 

 

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