アラ・パキス 平和の祭壇

帝政ローマの初代皇帝アウグストゥスがガリアとスペインを制圧した後に建造した平和の祭壇、アラ・パキス。
古代ローマ時代の遺跡で重要なもので、また珍しいものであります。神殿という名前は戴いていないものの、年に一度、生贄が奉納されていたそうです。
長い間、領土を広げるために戦いに戦いを繰り返してきたローマが、領土を広げるだけではない国の成熟を見つめる時代になったということです。
その祭壇のレリーフといえば非常に個人的なもので、アウグストゥスの妻リヴィアや、息子ティベリウスなど、家族を題材に彫刻が施されたものです。

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テヴェレ側に近いところに建てられた平和の祭壇、アラ・パキスですが、川の氾濫により発見されたのは、コルソ通りに近い現在のサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会の辺りでした。
16世紀に発見はされたものの、堆積した土に埋まった遺跡を技術的に掘り起こすことができなかったために、掘り起こされず数世紀が過ぎました。
1903年より掘り起こしの工事が開始され、1938年にようやく平和の祭壇としての在りし日の姿に戻りました。

かつては平和の祭壇だけを覆うかのようなの箱のような建物に覆われていましたが、2006年にアメリカの建築家リチャード・マイヤーの設計により、アラ・パキス博物館として生まれ変わりました。
光触媒により自浄作用のある白い外壁は建設当時物議を醸し出していました。今はあまり語られていないようです。

博物館ではアラ・パキス 平和の祭壇以外に企画展も開かれています。

アラ・パキス博物館
Museo dell’Ara Pacis

https://www.arapacis.it

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アラ・パキス博物館