リソルジメント(イタリア統一)後、王政イタリアの元、首都となったローマが都市開発に力を注いだエリアが、この界隈で、
王政イタリアの最初の都市のトリノ風につくられた広場です。
統一イタリアの初代国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世にちなんでつけられたローマ一の大きさの広場です。名前が長いので、ヴィットーリオ広場の名で親しまれています。
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トリノのあるピエモンテ州から、ピエモンテーゼとよばれるこのスタイルのパラッツォはローマっ子が口にするときはちょっと揶揄した意味合いがあったりします。大きすぎて洒落ていて親近感がわかないね、という感じ。
ピエモンテ風、パラッツォに拡大辞がつけられたパラッツオーネと呼ばれたり。
この広場の中央には、囲われた緑の公園がありますが、そこには古代ローマ水道の終点を表すモストラの遺跡や、17世紀のポルタ・マジカと呼ばれる不思議な遺跡が残されています。
以前は、野菜などの市が立っていましたが、今は近くの屋根付き市場に取って代わり、パラッツォの豪奢な雰囲気に対して、庶民的なにぎわいがある、この界隈独特の活気が見られなくなったのは残念なことです。
広場を囲む、アーケードのある王制時代の建物は軒並み中華系の用品店や食材店が並び1、看板もイタリア語がまれなので、異国の雰囲気が漂っています。醤油や日本米に近いものが手に入るお店があるのは、日本人にはありがたいです2。
ローマっ子の間で知られるMASという、シェフから消防士など業務用の衣類などがそろうお店が有名です3。
ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世広場
Piazza Vittorio Emanuele Ⅱ
Piazza Vittorio Emanuele Ⅱ,1 Roma
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