教会 / ティブルティーナ界隈
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂
第二次世界大戦中、1943年に連合軍より爆撃を受けたローマの聖堂です。この聖堂があるサン・ロレンツォ地区は空爆の被害を受けたローマのエリアで、全壊は免れたものの、ファサードのモザイクのは修復に至りませ…
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2013-11-27
ローマの街には公園内にわずかしか残されていませんが、古代ローマ街道のひとつティブルティーナ街道が走っていたエリアです。ハドリアヌス帝のヴィッラ・アドリアーナやエステ家の別荘で有名なティヴォリへ続く道です。
今日では、大学もあり、手頃な価格で食べられる食堂があったり、若いエネルギーで満ちたエリア。テルミニにも近い大学都市と呼ばれる大学の校舎が固まるエリアはファシズム政権下の都市再開発計画のひとつで、イタリア合理主義建築様式のジオ・ポンティ、ミケーレ・デ・ルッキ、ピオ・ピアチェンティーニなどイタリアを代表する建築家の手がけたものを見ることができます。
第二次世界大戦中はローマの街では空爆の被害を受けたエリアでもあります。
ローマ・ティブルティーナ駅は夜行列車や新しいイタリア高速鉄道イタロのローマの駅ともなっており、改修工事が行われ、新しくなりました。また、ヨーロッパの国々をつなぐ遠距離バス、イタリア国内の中距離バスの発着駅で交通の要所となっています。
大きな墓地があり、ローマをはじめ、イタリアで活躍した著名人が眠っています。
メトロB線 ティブルティーナ(Tiburtina)駅、ポリクリニコ(Policlinico)駅
鉄道トレニターリア、イタロ ティブルティーナ(Tiburtina)駅
ローカル線 fr3線 ティブルティーナ(Tiburtina)駅
第二次世界大戦中、1943年に連合軍より爆撃を受けたローマの聖堂です。この聖堂があるサン・ロレンツォ地区は空爆の被害を受けたローマのエリアで、全壊は免れたものの、ファサードのモザイクのは修復に至りませ…