サン・ピエトロ大聖堂への正面からのアプローチをドラマチックに展開してくれるのは、この壮大な広場、サン・ピエトロ広場の効果が大きいことに間違いはない。日曜日のミサの際には信者で埋めつくされる広場。
サン・ピエトロ大聖堂とあわせて、その名もVia della Conciliazione、ラテラノ条約通りからのアプローチがドラマチック。
通りを歩いているときは広場は目に入らないが、突然に壮大な広場が開ける。
夜もここからの眺めはとても美しい。
広場の設計はベルニーニによるもの。1500年代のはじめから遂行されたサン・ピエトロ大聖堂の改築は、
この広場の完成をもって献堂される。
夥しい数の大理石の柱に、歴代の教皇たちの彫像。
かつてのローマ帝国の皇帝達に代わってローマを治めてきた権力者たち。
中央のオベリスクは1586年にここに移設された。
ふたつの噴水はカルロ・フォンターナとカルロ・マデルノによるもので、
ここにもバロックの芸術家の才能が詰まっている。
楕円形の広場は数学で習った楕円の焦点を体感させてくれる。
噴水より中心に寄ったところにCENTRO DEL CORONATOと彫られた丸い大理石が地面に埋まっている。
そこに立つと、奥に4本並ぶ柱が1本に見える。
Via della Conciliazioneからの広場へのアプローチがドラマティックとは語ったものの、
かつては、その建物を通る小径を表現して、魚の小骨と呼ばれた、
小径が縦横に走る建物群がびっしりと人々の住まいとして建ち並んでいた。
しかし、ムッソリーニによるローマの都市計画の中で、
その建物群は取り壊された経緯がある。
ここに住んでいた人々はオスティエンセ通りのガルバテッラ地区に移住させられたという。
取り壊される前の建物群 サン・ピエトロ大聖堂のクーポラより