訪れる時間が異なれば違う表情を見せてくれるパンテオン。ギリシャ語ですべての神々の神殿の意味を持つパンテオンは古代ローマ時代に神殿として建てられ、ローマ帝国崩壊後は7世紀になってカトリック教会となりました。
個人的にとても好きな場所で、住んでいたときも旅行者として訪れる今も最初に足を運ぶところ。そして時間が許せば発つ前にトレヴィの泉とあわせて立ち寄ります。2023年7月から訪問に5ユーロが課せられるようになりましたけれども。長い間議論されていて1ユーロを徴収するか否かの噂からいきなりの5ユーロでした。


ラファエッロが眠る教会
足繁く通うには理由がありまして、ひとつは好きなラッファエッロが眠っている場所だからということです。天井を仰いで本日のパンテオンからの青い空を首がつらくならない程度まで見上げてから、まっすぐラッファエッロが眠る墓前にご挨拶。ローマに戻りました、とかローマを去ります、とか。あちらはそんなことは知ったことではありません。
パンテオンには
・ラッファエッロ・サンツィオ(画家・建築家)
・バルダッサーレ・ペルッツィ(建築家)
・ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世(初代国王)
・ウンベルトⅠ世(第二代国王)
などが眠っています。
建築にまつわるいろいろが興味深いパンテオン
今でもカンポ・マルツィオ、カンプス・マルティウス、マースの野原と呼ばれるこの界隈は軍事練習場で、アウグストゥスの時代にはローマの街の一部となり、この辺りには浴場や神殿が密集していたとされています。
アウグストゥスに近いアグリッパがアグリッパ浴場のある敷地にパンテオンを建設しました。のちに火災で当時の建物は失われており、今日目にする姿は皇帝ハドリアヌスが再建した物になります。ハドリアヌス帝は自分の名を刻まず、アグリッパの名が刻まれた遺跡をパンテオンのアーキトレーヴに入れるとは、粋であると感じます。美しいものを目で生んできたハドリアヌス帝の功績の中の好きな話のひとつです。
パンテオンを見上げたときの天井に開いた丸穴は素通しです。雨が降れば雨は入ってきます。中央の床を見ると大理石の床に穴があいていて排水口があるのがわかります。
この穴はローマの建国の日である4月21日にちょうど日が真っ直ぐと差し込むようにハドリアヌス帝は作りました。日時計の役割です。当時と暦は違うけれども、というのは気にしないでおきましょう。
また、見上げたときに見える格天井と時間によってその影がおもしろいのですが、その格天井はコンクリートでできています。近代建築以降に多く見られるようになったコンクリートのようですが、古代ローマ時代にはコンクリートは存在していました。
石灰岩が採れる環境であったこともそれを作り得た要素のひとつと思われますが、ローマンコンクリートと呼ばれるこのコンクリートは2000年という時間を経てもまだ存在しているのです。
深さのある格天井なのは理由があり、コンクリート製の天井を軽くするためです。構造とデザインをうまく組み合わせたつくりとなっているのです。
この5層の格子は28ずつ並んでいますが、28は完全数(1+2+4+7+14の合計)であり、意図された数字なのかわくわく
ミケランジェロに天使が設計したといわしめたパンテオンですが、ドーム天井を描く球体がそのまますっぽりとちょうど入る設計になっています。その球体の径はおよそ43メートル。パンテオンの断面図をポストカードなどで見かけることがあると思いますが、美しいです。イタリアを愛したスタンダールはパンテオンを古代ローな遺跡の中でいちばん美しいと言っています。
風刺にもなった教皇ウルバヌス8世時代の外観の変貌
バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世時代に古代ローマ遺跡からの青銅が取り除かれ、サンタンジェロ城の大砲に使われました。また、教皇が寵愛するベルニーニが作ったサンピエトロ大聖堂の天蓋のスパイラルの柱、バルダッキーノにもパンテオンからの青銅が使われたとされています。
当時のひとびとのつぶやきの場、パスクイーノにも蛮族がやらなかったことをバルベリーニ1がやったと風刺されたとか。
その時代の改修にベルニーニがパンテオンに双塔の鐘楼を付け足しますが、ローマの民から不評を買います。1800年代前半のパンテオンを描いた絵画にふたつの鐘楼が見られますが、ない方がよさそうです。ロバの耳のあだ名からどう評価されていたかが推し量ることができます。1883年にはそれらの鐘楼は取り壊されることになりました。
- バルベーリーに家は教皇ウルバヌス8世の出身家 ↩︎
現在は聖マリア殉教者教会という名の教会ですが、パンテオンの方が耳慣れています。
パンテオンの正面とは反対の裏側のパロンベッラ通りから建物を見てみると大理石の柱やフリーズが見られます。こちら側がアグリッパの浴場やネプチューンのバジリカがあった側です。


雨のパンテオン
ドーム天井に開いたオクルスは素通しのため、雨降りの際は雨粒が落ちてきます。


その他の見どころ
パンテオンが位置する区域は第4区のPigna/ピーニャです。マルスの訓練場があった辺りですが行政上はピーニャに入っています。ピーニャは松かさを意味しますが、なぜ松かさかというとアグリッパの浴場に大きな青銅の松かさの像があったからとされています。そしてその松かさはヴァチカン美術館のまさにCortile della Pigna、松かさの中庭に置かれているあれ、です。
歴史にはおおかた諸説あり、でまたそれを手繰るのが後世の人間にとっては楽しいのですが、その松かさの像がパンテオンのオクルスのふたになっていたとか、ヴァチカンの松かさはサンタンジェロ城にあったものとか説はあるようですが、ピーニャという名前が残されているので、ヴァチカンの松かさがどこのものであれ、アグリッパの浴場には巨大な松かさが飾られていたのでしょう。

パンテオン/聖マリア殉教者教会
Pantheon /Basilica di Santa Maria ad Martyres
Piazza della Rotonada Roma
