メトロA線をアナニーナ方面へ南下していくとサン・ジョヴァンニ駅を過ぎると最寄りの名所やランドマークが謎になってきます。そのひとつのPorta Furba/ポルタ・フルバ駅。イタリア語をかじるとfurb*は抜け目ない、抜け目ない門ってなに?と思ったりして。ローマっ子の案内のもと、いざポルタ・フルバを見にいってみました。
ローマの南の幹線道路トゥスコラーナ通りが通る門ということですが、思ったよりひっそりと建っています。ペペリーノという灰色のコッリ・アルバーニ地方でよく採れる石の門に大理石に刻まれた碑文を戴いています。入る角度が異なるレンガ組積の連続したアーチが両側につながっています。これはこの界隈を縦断しているフェリーチェ水道です。
このポルタ・フルバに刻まれたシクトゥス5世の名前フェリーチェからきている遺跡の中では最も新しい1500年代ルネッサンス期の水道です。
シクトゥス5世のフェリーチェ水道にまつわるアーチはテルミニ駅の横にもあるのです。そちらはローマの街へ入ったところへ同じく記念碑として建っています。そちらはシクトゥス5世のアーチと呼ばれています。このポルタ・フルバもシクトゥス5世のアーチに変わりはないのですが。ペペリーノ石のアーチに大理石の碑文が掲げられた似たような様式です。
ということでポルタ・フルバは名の由来が不明なルネッサンス期の記念碑、でした。


ポルタ・フルバのローマ側の面と向かい合うように小さいながら美しい噴水があります。ここには同じしくシクトゥス5世が巡礼者のために水飲み場として泉をつくったそうですが、今ある姿は1700年代の教皇クレメンス12世の時代に修復されたものです。クレメンス12世の泉、または通り名からマンドリオーネの泉とか、美しい泉、フォンターナ・ベッラとも呼ばれることがあります。
噴水は鳩の憩いの水飲み場になっていました。ポルタ・フルバの名前の由来は不明ですが、メトロの駅名になるのですからこの界隈のランドマーク的存在なのでしょう。



クレメンス12世の泉の横を走るマンドリオーネ通り沿いにはフェリーチェ水道がローマの中心に向かって走っています。かつて、アーチの下は住まいとして占拠されていた時代があったようで、壁らしき跡と床にはタイルが残っています。
ヴィットーリオ・デ・シーカの「IL Tetto 屋根」にもあるように、戦後の復興のどさくさに紛れて家を建ててしまうことがあったようで、そういう時代は何処も同じようです。
この映画を見ていると、ドン・ボスコの教会絶賛建設中とか、それこそトゥスコラーナ通り界隈の集合住宅を建設中で、ストーリーとは違ったところに見入ってしまいます。



ポルタ・フルバとクレメンス12世の泉
Porta Furba- Fontana di ClementeXⅡ
Via Tuscolana, 547 Roma
※写真は2011年
