テルミニ駅に沿って通るマルサーラ通りを南東の進んで行くと、テルミニ駅の駐車場を過ぎ、そしてまだまだテルミニ駅の建物は続いていきます。通りが小さな広場に出る前にシンプルですが厳かな雰囲気のアーチとそれにつながるれんがの連続アーチが目に入ってきます。アーチの一方はまるでテルミニ駅の建物に刺さったような状態で建っています。

アーチ上部の石碑には SIXTVS Vの文字が見えます。シクトゥス5世に関連する建造物であることがわかります。
当時はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会へ続くふたつの道が交わる要衝でした。これらの道は統一イタリアにローマが併合された後に統一イタリアの首都ローマとなった際に、テルミニ駅とヴィットリオ・エマヌエーレ駅の界隈は都市開発により古代ローマからルネッサンス時代の建物と共に失われました。
そこに教皇シクトゥス5世の引いたフェリクス水道の完成の記念碑としてアーチが建てられました。
ジョヴァンニ・フォンターナによるルネッサンス様式のアーチです。
シクトゥス5世の家名であるイタリア語フェリーチェ、ラテン語でフェリクスのフェリーチェのアーチとも呼ばれています。
人は通ることができますが、車は迂回を余儀なくされています。
では、ここでローマの街に入るフェリクス水道はどこまでいくのでしょうか。
テルミニ駅からも歩けるレプッブリカ広場からバルベリーニ方面へヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド通りを行くとヴェンティ・セッテンブレ通りにぶつかる角に大きなモーゼ像が建つ泉に出会います。そこがフェリクス水道の終点で、モーゼの泉はフェリクス水道のモストラと呼ばれる装飾建築になります。
今日でもカトリックの聖年ジュビレオに向けて、街はいろいろ整備されますが、この水道も教皇グレゴリウス13世が1575年の聖年に向けて巡礼者が増えることを見込んでローマの街の水を潤沢にしようと始めた事業ですが、完成はシクトゥス5世の時代になったので水道の名もフェリーチェ/フェリクス水道と伝えられています。
シクトゥス5世の名が刻まれたアーチはアウレリアヌスの壁の外のトゥスコラーナ通りにも存在します。
シクトゥス5世のアーチ
Arco di Sisto V
Piazza SistoV Roma
