サン・ピエトロ大聖堂と並び世界中の国々からの巡礼者が多い、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂の脇にひっそりとレンガ積みの小さな八角形の建物があります。
ラテラノ洗礼堂です。この地においては公的には最も古い洗礼堂で、最初から洗礼堂としてつくられたものの中では今日まで残る唯一の物です。

上の図はラファエッロの弟子によって描かれた洗礼堂です。
壁画こそ後のバロック期に描かれたものの、アトリウムの柱、階段はそのままです。
とある時代から洗礼堂の役割を果たした礼拝堂についてはこちら。
初期キリスト教の歴史が垣間みられるこの界隈に、公的に“キリスト教解禁”なる、まるで宣言のような象徴的な存在です。
キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の命により建てられたこの洗礼堂のはじまりは、5世紀までさかのぼります。
現在私たちが目にする姿は、翌6世紀のものですが、どちらにしてもその歴史は長く、ローマ帝国崩壊後から今日まで、中世の度重なる侵攻、均整の侵攻、近代の戦争の時代でも常に洗礼堂として存在してあり続けた、ローマでは稀有な存在といえます。
入り口を入ると直接八角形のアトリウムに入ります。ここが洗礼堂です。
バロックの時代、近代に内装が大々的に変えらているため、中に入ると5、6世紀の建物の面影は全くありません。
鉄柵で立ち入る事ができないのが残念ですが、洗礼堂に面する小礼拝堂にはビザンチン様式のモザイクを見る事ができます。
この小礼拝堂は東西南北にに配置されていたのですが、入り口の小礼拝堂は、16世紀に都市計画家教皇、シクトゥス5世によって取り壊されています。
洗礼、婚礼のための入り口は外からは見る事はできませんが、正式な正面入り口として見事な2本の赤い斑岩がファサードを構成しています。
洗礼堂につながる礼拝堂に入ると、祭壇に向かって床が緩やかに傾斜しているのがわかります。
この礼拝堂は古代ローマ浴場の上につくられており、礼拝堂の両脇には地下への階段があり、
通常は下りる事はできませんが、上からでも地下から立ち上がる柱と古代ローマ時代の床のモザイクをのぞくことができます。
この礼拝堂の後陣のモザイクではローマの聖人ペテロとパウロ、そして4人の福音書家全員が集合しているめずらしいモザイクです。
キリスト教の歴史にして由緒ある洗礼堂、また古代という時代が終焉し中世という時代に突入していく時代のモニュメントとして、今日でも世界の国々から婚礼、洗礼の儀式を行いに訪れます。






ラテラノ洗礼堂
Battistero Lateranese
Piazza di San Giovanni in Laterano , 4 – Roma

メトロA線 サン・ジョヴァンニ(San Giovanni)駅
バス:テルミに駅からは409,他 85,87,117(電気ミニバス)など
メトロの駅からは7分ほど歩きます。
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