ピア門

ポルタ・ピア::城壁内はミケランジェロの最後の建築

ミケランジェロの最後の建築作品であるポルタ・ピア(ピア門)はリソルジメント、イタリア統一運動で重要な場所のひとつでもある。

教皇統治の街として最後までイタリア統一に抵抗したローマに、当時の首都トリノから王家が軍隊を送る。
ローマに進軍するために、ローマ帝国の防衛のシンボルであるアウレリアヌスの壁を破壊する。

これを機にローマも他に遅れること10年、統一イタリアに併合され、その翌年王政下の統一イタリアの首都となるわけである。

現在でもポルタ・ピアの内側には当時の愛国主義をたたえる像が建っており、

狙撃兵歴史博物館となっている。

 

ピア門の壁の外には、いざローマに入らんとする、兵の像があり、

ムッソリーニの言葉が添えられているが、実際は門を突破したのではなく、

ボルゲーゼ公園に寄りの壁をぶち破ってローマに進軍した。

壊された壁にもモニュメントが建っている。

 

 


■写真ギャラリー

 

 

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