文献も少なく伝説のように語られる古代ローマ王制時代の紀元前6世紀、
6代目の王セルウィウス・トゥッリウスの時代に
ローマの街に壁が建設されたという。
その後、紀元前4世になって、セルウィウス王が建設した壁の跡をなぞるように
建てられたの壁がセルウィウスの壁と呼ばれている。
現在も遺るアウレリアヌスの壁より内側にあり、
周長は11km程度で、さほど広い範囲ではない。
現在はテルミニ駅近くでその連続した遺構を見ることができる。
その他ではチェリオの丘の門の一部とエスクイリーノに壁に開いた門が
見られる程度である。
ローマが共和制、帝政となるまで、この壁は機能していたが、
帝政ローマの3世紀頃には必要がなくなり取り壊された。
ところが帝政ローマの後期、4世紀に入ると
蛮族がローマへの侵入を繰り返し、アウレリアヌス帝の時代に
アウレリアヌスの壁を張り巡らすことになる。
この壁には17つの門が開いていたとされるが、そのうちの
ポルタ・カペーナは後のアッピア街道とラティーナ街道の起点となる。
ポルタ・カペーナの遺構は今日では残されていない。
緊急に必要に迫られて建設されたアウレリアヌスの壁との違いは
ローマ近郊で採れるトゥーフォという凝灰岩の大きな塊で積み上げられていること。
高さも高くて10mほどである
一方アウレリアヌスの壁はレンガで積み上げられており、その高さも高い。
テルミニ駅前のチンクエチェント広場のマルサーラ通りの側に一連の遺構を見ることができる。
また、テルミニ駅の地下のショッピングモールには基礎の遺構が遺っている。