中世、繰り返される侵攻とペスト





一般的には西方のローマ帝国が滅びた時を境に中世としていますので、
皇帝たちがいなくなり、教皇たちが支配するローマは中世の始まりといえるでしょう。

中世のローマは、ローマの街の歴史の中で侵攻が繰り返される厳しい時代です。

8世紀にはまだ、イングランドウェセックスのイネ王やカール大帝がサン・ピエトロ大聖堂に巡礼しており、
ローマの街は歴史の舞台に上がっています。

しかし、かつての東方のローマ帝国に統合されたり、ローマは自立するのが難しくなってきます。
9世紀にはサラセン人、11世紀にはノルマン人に侵攻されます。
チェリオの丘には、当時の侵攻の際に築かれたアーチがいまだに残っています。

その中でもローマに中世の活躍を今日に残すのはコズマ一族です。
中世期に改築もしくは新築された教会の床の大理石のモザイク、祭壇、玉座などの見事な大理石装飾を手がけています。

この頃の代表的な作品として
改修されたサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂の回廊、
サン・クレメンテ教会などがみどころです。
サン・クレメンテ教会はこの時代に限らず、古代からの時代の積み重なりがまさに建物の積み重なりになっており、おすすめしたい教会です。

1300年にははじめてのジュビレオ(聖年)が祝われました。
アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画で有名なジォットがローマを訪れており、
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂に絵画ほどの大きさの壁画を残しています。
ヴァチカン美術館でもジォットの作品を見ることができます。

1309年には教皇庁がアヴィニヨンに移り、そしてペストに襲われたローマは
かつての栄華の見る影もない荒廃した人口数千人の街となりました。

中世の終わりにはコーラ・ディ・リエンツォという、教皇と貴族に痛めつけられた生活から脱却するためには、
古代ローマを再築しようではないかと活動した人物が登場します。
もちろん、失敗に終わっていますし、人びとを熱狂はさせたものの最後は変人扱いでした。
このコーラ・ディ・リエンツォの家と言われている家がアヴェンティーノにあります。
また、ヴァチカンに近いプラーティ地区には通り名として残っており、食料雑貨店や洋品店が並ぶショッピング・ストリートになっています。













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